結局全話観ました。驚く程トントン拍子に進んだので、リアリティが無くあまりに理想的すぎる印象を受けた。しらせの母親の遺物を探すシーンなんか秒で見つかって滑稽だった。あんな秒で見つかって感動だったらしらせが少し探してたら見つかってただろ、と嫌な邪推をしてしまった。ざまあみろとか着いてみるとあんまり涙が出ないんですとか言ってた人がそんじゃ探してみるかぁとならない理由がよく分からんが、3人が探してくれてんのに棒立ちしてんのもよう分からん。そしてそれを見て感動しそうになった私もよう分からん。3人が私の為に探してくれた! 嬉しい! なんて感動してんだろうか私は、あまりに依存的で愛情不足を感じて苦しい。自分の為になんかしてくれた、嬉しい! なんて本来ならば親子間の愛着で達すべき課題だと思うが、それを同年代に求めて仮初の映像を見せられて感動するなんて自覚した途端苦しすぎる。そんなの、私の不完全性を喚起して見せつけられているようなもので、だからこの作品を見てるとそわそわしてくる。それと、しらせの問題に他3人があれ程感情移入して3人で泣き合うというシーンも私にはよく分からなかった。一人で泣くには分かるも。こいつらはワンフォアオール/オールフォアワンを体現することを生業としてるのかとかなり心理的距離を感じた。それとキマリは世を舐め腐ってるきらいがあるので好きになれない。青春してるて何やねん、意味不明な造語つくらんでくれ。しかし南極に関わらず皆と一緒だったら何処でも好きになったとかいう台詞はちょっと乙でずるい…憎いね、よりもい。
さて、個人的な昂揚ポイントとしてはしらせが髪を切って満面の笑顔を見せたところくらいなのだが、それだけ言い放っても味気ないので更に書いていく。
めぐっちゃん、あれプライド高いだけだろ…北極行けた理由は角に置くとしても、依存先が大きくなったので対抗した程度にしか思えない。美談的な演出だったが。なんでだよ〜と言ってたが、私にはこいつほんま粘着質やなという印象しか受けなかった。こいつもとりあえず北極行っとけってか!?
なんせ思うのは過程の描写もなく現象としてラポールの形成された4人の状況を見せられるのは一種の詐欺とみえる。トラウマを抱えているくせにとんでもなく人を信じ易く、反発も葛藤もそんなになく和合に至るのは、実はこいつら滅茶苦茶知性的だろということ。そんな高尚なレベルの話はIQ20以上離れた私には分かりかねるのでなんかやってんなくらい。トントン拍子で葛藤を解決してしまうところも昨今のストレス社会とやらには有用なのかもしれないが、それは一時の処方薬に過ぎんのだと思う。
これを評価してしまった次の日が怖い。あのアポリアの一つもなく状況が勝手に好転し、仲間がなんとかしてくれ、互いに一つの意を伴って行動する、という状況がひどく現実の皮肉みたく心苦しくなる。いっそのこと完全にファンタジーであるなら心安らかだが、現実に依拠している物語なので、余計皮肉に思える。高嶺の花に憧れても、いつかは醒めるほかない。それはゼルダの夢を見る島のストーリーのような儚げな心地を含むかもしれないが、指し示されたものが理想的であればある程心苦しさは増す。現実はああいかないが、なんとかして理想に近づけられたらと思う。非常に四人の調和状態への道筋は不可解だが、あんな状態になれたらさぞかしと思う。その過程を無視すれば現象としてああなっているのでそれは1つの理想の体現だ。そこが、今作の評価が高い理由なのだろう。多数の未読メールシーンは、その最たる例だと思う。あの映像を見せられることで、私はしらせが毎日平均3回以上は母親にメールしていたことを理解する。その実際は想像の域を出ないが、受信メールが千件を超えているという状況が示された以上、ある程度の母親への想いというものは暗に示されてくる。1クールの有限時間で行間を凝縮する為の演出なのだと思う。南極ってネット繋がってるんだろうかと思って調べたら設置されてるパラボラアンテナが衛星とやりくりしてくれるらしい。しかし、その頻度でメール送っといて、ざまあみろという開口一番もよく分からん。前記事に記した通り、空気を暗くしない配慮なのかもしれないが。しかし、あの場面周りの大人たちが便乗してざまあみろと言ったのは更に分からなかったが。なぜあの厳しそうな隊長さんがいきなり便乗し、そして隊員全員が示し合わせたように反応できたのか。そうなっとるやろがい! と言われたら終わりだが。
いくらでも書きそうなので、総括。
•個人的には受け入れ難い。
•全体的に明るい
•いつも女子高生4人いっしょ
•反応もいっしょ
•苦難は無い
•感動場面はある
•過程よりも結果で見せる感覚
•現代的
•青春、友情がメイン
•私幸せです感満載(射幸心を煽る)
•しらせは最も物語のからくり仕掛けくさい
•リアリティよりもノリ重視
•万事うまくいく
導き出される結論は•••
→苦痛よりも軽い諸相(すごい悪意あるな…)
別に苦痛が美学とかサラサラ言う気はないがお茶漬けサラサラ永谷園か! するする入ってったわ! 喉元過ぎれば熱さも忘れる? 口腔内で既にさして熱くないし忘れたわ! そんな感じ。(要はノンストレスなんすね)
などなど言いつつ、現代はアクセシビリティで語れる気がするので、軽妙な作品だという印象を持ちます。(昨今よく聞く透明感なんかもこのアクセシビリティにまつわるのだと思います)シメの一杯に如何でしょうか。