sappalenia’s blog

無責任な戯言です

シュタゲ18〜24話視聴

 とりあえず23話改変の25話を除く一応最終話と言っていいであろう24話まで観た。以下感想。

「今だけは、アインシュタインに文句を言いたい気分。ねぇ岡部、時間は人の意識によって、長くなったり、短くなったりする。相対性理論って、とてもロマンチックで、とても、切ないものだね」

22話、キスシーンに挿入される心の声。これが聴きたくてこのアニメを観始めたのでした。いつこのセリフが出るのか、こんなセリフを言うアニメは名作に違いない、という予感が私にこのアニメを観始めませました。だからこのセリフが現れる瞬間を心待ちにしていました。そしてその瞬間は物凄く重要なシーンで挿入されたヒロインの心の声だったようです。この印象的で美しいセリフについて考えていきたい。

 クリスティーナは天才的なリケジョだ。プライドが高く、ネラー。客観性を重視し、実験が大好きな理屈寄りの人間。そんな彼女がアインシュタインに文句を言いたいのだと言う。時間、その主観時間は恣意によって長くもなり、短くもなることについて文句を言いたいようであり、それはアインシュタインの示した相対性理論のようであるという同質性にかこつけた言い回しなのだろう。相対性理論では重力、観測者の速度差の影響により時間に遅延が生じるのだという。クリスティーナはこの主観時間と相対性理論での時間の遅延の二つの間に共通性を見出し、この現象に対してアインシュタインに文句を言いたいのだという。どんな文句を言いたいのか。相対性理論がロマンチックで、とても切ないものであるということについて、それはつまり主観時間の恣意性がロマンチックで、切ないものだ、ということだろう。簡潔に言えば、時間は意識の状態では長く感じれることもあれば短く感じることもある、ということになる。では、この時クリスティーナは長く感じていたのか短く感じていたのか。私の感性では、それは長い時間だったのだと思う。長いとすれば、それは日常の延長とは隔絶された特殊な時間で大切な時間であったはずだが、クリスティーナはそれについてアインシュタインに文句を言いたいのだと言う。私はここに彼女ヒロインとしての魅力、可愛らしさがあるように思う。

 ロマンチックな時間について文句を言いたい、アインシュタインという物理学の世界では最も著名だろう人物つまり物理学や科学の象徴に向けてロマンチックな時間に関する文句を言いたいのだ。この味わいは何だろうか。一つに、主観時間さえも相対性理論という科学的な現象にかけつける彼女のアイデンティティの強調があるだろう。それは科学者としての視点からのロマンスへの感受の仕方を示している。二つに、そこに恥じらいがあるのだとしたら、恥じらいがあるのだとしたら、彼女なりの自己認識の結果が婉曲的に詩的に表現されている。クリスティーナは劇中から見るに、素直な性格ではなく、自分の気持ちを隠しやすい部分がある。そんな彼女が自身の主観時間が長くなっていることを自認し、それについての気恥ずかさを相対性理論を示したアインシュタインを対象にぶつけるのである。ここが大変グッとくる。相対性理論なんていう時間が変化するという主張をするなと、今わたしの主観時間は変化してしまっているぞと。もう可愛すぎる。そしてこのセリフの直後に次のように言うのである。相対性理論はとてもロマンチックで切ないものだね、と。これは何を指すだろうか。私が思うに、彼女は気恥ずかしさを感じつつもそれを素直に受け入れている。この私の主観時間の変化がとてもロマンチックで、切ないものだと認め、受け入れている。そこに美しいカタルシスのシーンが生まれている。まゆしいを助ける為に2人で信じ合い協力してきた先のこのセリフである。積み重ねてきたものを十二分に醸し出す美しいセリフだと思う。科学者としての立場を普段とる彼女が相対性理論はロマンチックで切ないものだと思い、それは彼女の現在の心境、自身の心内が客観性よりも主観性に傾いているという表れとしての言葉。客観的に冷静な目で物事を見る彼女が物理学の象徴的な理論を主観的なものとして見るのである。ここに彼女の心の高まりが強調して表されており、ロマンチックな雰囲気を高めている。

 以上が、このセリフが挿入されたシーンを見ての私の分析である。このセリフを初めて聞いた時からこのセリフが挟まれる瞬間とはどんなものだろうかと気になっていた。そして今回最終話まで見て、この心の声は実に効果的に働いており、感動的なシーンの美しさを高めていた。しかし好みを言うなら、好みを言うなら、もう少しゆっくりとこのセリフを聴かせて欲しかった。しかし、彼女の性格を鑑みれば、あまり遅いと違和感のあるセリフになってしまうだろうとも思う。私の物語への入り込みが弱いせいだとも思う。あるいはこのセリフに対する期待値が高すぎたかもしれない。

 さて、話は変わって一応の最終話(24話)まで観た総括をしようと思う。第一話の伏線が綺麗に回収されており、ストーリー構成が素晴らしいと思った。リーディングシュタイナーを持たないキャラクターも別の世界線の事を微かに覚えているというのは若干虫が良い気はした。(それなら無数にある世界線のことも全て微かに覚えているではないか)しかしその微かな記憶があることで感動を高めてもいると思う。まゆしいの心の美しさに感動した。初めはトゥットゥルーとか言ってるやばい人だと思ってた。でもあの優しさの滲み出方はグッとくる。彼女が死ぬ時はいつも懐中時計が止まる描写があったが、β世界線に行ったことで懐中時計が動き続けている描写があれば感動は更に高まったように思う。また反対に、クリスティーナの時計が止まるような描写もあれば対比の効果で強い印象を感じたかもしれない。(あの終盤の尺都合でその演出を自然に挟む方法なんて全く思いつかないが)など言いつつ演出もストーリーもキャラ立ちも全て優れた作品だったように思う。23話の特殊EDからの24話第二番歌詞ver.のOPへの繋ぎもクライマックスの勢いを感じさせて良かった。そして最後にクリスと再会し、彼女は別の世界線の、岡部が奮闘してきた世界線の面影を記憶に留めていた。美しい締めだと思う。劇中で散々過去改変や世界線移動で記憶を無くしてしまうのは辛い、ということをフェイリスやルカ子で描写した後でのこのクリスの記憶である。温かい気持ちにならずにはいられない。

 全てのクオリティが高いと感じました。心理描写よりは展開によるエンタメ性としての魅力が優勢な印象が残りました。しかし節々で、キャラの心理にも惹き込まれました。展開重視の面白さでは一過性の懸念も感じますが、観て良かったと思います。