sappalenia’s blog

無責任な戯言です

シュタゲ22話のセリフについて再考

「今だけは、アインシュタインに文句を言いたい気分。ねぇ岡部、時間は人の意識によって、長くなったり、短くなったりする。相対性理論って、とてもロマンチックで、とても、切ないものだね」

 前記事の冒頭で紹介した上記セリフについて、その良さを上手く伝えられていないのではないかと感じ、また新たな発見をしたのでもう一度このセリフについて記していきたい。今回は更に分かりやすくなるよう配慮する。

 さて、このセリフを考える上でポイントは以下3点ある。

・このセリフはクリスの性格や立場をよく表している

・このセリフはクリスの体感している叙情を極めて巧みに表している

・このセリフはこれまでのストーリー全体を通して象徴的な意味を持ち、また今後への余韻を残す

こう主張した上で順番にそのポイントについて詳述していく。

 まず第一に、このセリフはクリスの性格や立場をよく表している、という点について記す。クリスは18歳の天才物理学者である。そして自身の気持ちを素直に表すのが苦手な性格である。これを端的に表しているのが、劇中で主人公に指摘されていたツンデレという言葉であり、彼女は普段きつい口調や噛みつくようなことを言い、強がるようなところがあるのだが(ツン)、時には本心を言ったり、素直になったりする(デレ)。このギャップが彼女のキャラクターとしての魅力を高めている。そんな彼女はまずアインシュタインに文句を言いたい気分だと言っている。これは彼女の物理学者としての立場を表している。そして、物理学の偉大な研究者アインシュタインに文句を言いたいと言っている。この文句を言いたい、という言葉は何を表すか。これは彼女の恥じらいであり、照れ隠しが言わせた言葉だろう。その理由はセリフの続きをみて考えたい。

「ねぇ岡部、時間は人の意識によって、長くなったり、短くなったりする。」

 彼女は「ねぇ岡部」と、心の中で彼に問いかける。これは彼女の主人公への親密さを表しており、また岡部はこれから言う私の思いを共にしているだろうか、という隔絶への意識でもある。そして問いかける内容は「時間は人の意思によって、長くなったり、短くなったりする」ことである。ここで彼女の言う時間の長さの変化は主観時間の変化である。一方、相対性理論においても重力や観測者の速度差が影響して時間の遅延が起こる。つまり時間が長くなったり、短くなったりする。何故、彼女がアインシュタインを引き合いに出したのか、その理由はこの双方の現象において時間の長さが変化するという共通性を見出しているからである。そして彼女の心はアインシュタインに文句を言いたい。私はこれを照れ隠しだと述べた。その因果として私が想像するのは、彼女は気恥ずかしさを紛らわせる対象を欲していて、そこに偶然自身の現在の心境に共通した相対性理論を通じ、アインシュタインという偉大な存在にこそばゆい気持ちをぶつけた、ということである。しかしまた、こうも考えられる。今、この瞬間は確かに遅くはなっても必ず過ぎ去って終わってしまう時間だ、という諦念ややるせなさをアインシュタインにぶつけている可能性である。どうして相対性理論は時間が止まらないんだよ、という叶わぬ希望、一種の幼稚性の発露でもあるし、これから私は岡部のことを忘れてしまうということを思えば妥当な悲しみが起こす八つ当たり。また、こうも考えられる。相対性理論だけが時間の流れを論じるものだと思っていたら、意識というのものも時間の流れを変えるじゃないか、という現在自身の心内に起こっていることをアインシュタインは論じていなかったではないか、という発見と諧謔のような怒り。そういったむず痒さ、悲哀、哀愁を内包したアインシュタインへの文句を彼女は言いたいのだと思う。

相対性理論って、とてもロマンチックで、とても、切ないものだね」

 この部分のセリフには、彼女の心境が分かりやすく詰まっている。時間の長くなったり、遅くなったりすることはとてもロマンチックで、切ないものだという。彼女は今、長くなった時間の中を過ごしていることだろう。彼女はこれをロマンチックだと感じている。しかし、この時間はやはり一瞬で、岡部はβ世界線へ行き、私は岡部のことを忘れ、そして殺される。その事実への切なさ。また相対性理論はタイムマシンにも関わる話であり、時間を操ることはロマンチックでもあるが、切ないものでもある、という意味にも捉えられる。このシュタインズゲートという作品では時間を操るSF的設定が大きな役割を果たしており、それらの終結が岡部と気持ちを確かめ合い、そして別れる最後の瞬間であり、そういった経緯を相対理論というものに仮託したのなら、相対性理論とはロマンチックなものであり、切ないものであると言葉が現れ来るのは自然であろう。つまり、この相対性理論への形容の言葉とは、現在クリス自身が感じている主観時間への形容であり、そしてここに至るまでの道のりへの形容なのである。また普段気持ちを素直に表さない彼女が、心の中でロマンチックであり、切ないものだと素直に認めている。こうしたただの冷たい科学者などではなく、潤いのある心を持つ人間としての成長、そうやって深く幾層にも重なった思いが込められたのがこの短い簡潔なセリフなのである。故に私は、このセリフに興味を覚え、実際にこのセリフが現れるシーンを観て感動したのだと思う。このセリフが持つ叙情の凝縮性には本当に驚かされるし、その珠なる味わいに陶然とする。なぜなら、このセリフには彼女のアイデンティティ、彼女の現在の心境、ここに至るまでの道程、作品全体が持つテーマへの示唆、全てが含有しているからである。そしてそれが劇中のたった18文字しか送れないDメールのように、短いセリフで効果的に伝えられているのである。私はその技巧に感動するし、印象づけられた。本当に名シーン、名ゼリフだと思う。

 普段、アニメを観る過程で誰それが言った名言などは特に気にしないが、今回は観る前からこれは名言に違いないという確信があった。そしてそれは間違っておらず、観て良かったなと思う。これ程うまく心にジーンとくるものを中に秘めたセリフというものにはなかなか出会えない。私はこのアニメを心理描写よりかはエンタメ的なものに比重を置いていると前記事で形容したが、このセリフにおいては間違いなく心理描写的だったと思う。そしてそれは生々しい心理の現れとしての描写ではなく、クリスらしく知性のカーテンのかかった、それでいて素直な感受性を中に包む現れとしてのガラス細工のように美しいものだった。故にこれがみれただけでも、心理描写の比重の少なさなどどうでもよいかもしれない。見せ場として紛れもなくこれは機能していた。

 ここまで書くに当たって、私はChatGPTを使用した。ChatGPTにクリスのこのセリフを読ませ、解説をしてもらった。その中で昨夜の私が気づかなかった視点や形容を多く見つけることができた。もちろん中にはそうではないだろ、と思うものもあったが、大体の返ってきた言葉には納得できるものがあったし、実に的確な分析だった。そこで今回、自身も共感できた内容をここに記させて頂いた。故に、ここに記した全てが私の頭の中から独りでに出た訳では無いことを明記しておく。私の頭の中から湧いた言葉は前記事で記したことのみで、今回記したことはChatGPTを活用して学ばされ、自身も納得できた内容です。とてもいい考察の機会になり、満足しています。

 またどこかで機会を見つけて、アニメ感想を書いていきたいと思います。

シュタゲ18〜24話視聴

 とりあえず23話改変の25話を除く一応最終話と言っていいであろう24話まで観た。以下感想。

「今だけは、アインシュタインに文句を言いたい気分。ねぇ岡部、時間は人の意識によって、長くなったり、短くなったりする。相対性理論って、とてもロマンチックで、とても、切ないものだね」

22話、キスシーンに挿入される心の声。これが聴きたくてこのアニメを観始めたのでした。いつこのセリフが出るのか、こんなセリフを言うアニメは名作に違いない、という予感が私にこのアニメを観始めませました。だからこのセリフが現れる瞬間を心待ちにしていました。そしてその瞬間は物凄く重要なシーンで挿入されたヒロインの心の声だったようです。この印象的で美しいセリフについて考えていきたい。

 クリスティーナは天才的なリケジョだ。プライドが高く、ネラー。客観性を重視し、実験が大好きな理屈寄りの人間。そんな彼女がアインシュタインに文句を言いたいのだと言う。時間、その主観時間は恣意によって長くもなり、短くもなることについて文句を言いたいようであり、それはアインシュタインの示した相対性理論のようであるという同質性にかこつけた言い回しなのだろう。相対性理論では重力、観測者の速度差の影響により時間に遅延が生じるのだという。クリスティーナはこの主観時間と相対性理論での時間の遅延の二つの間に共通性を見出し、この現象に対してアインシュタインに文句を言いたいのだという。どんな文句を言いたいのか。相対性理論がロマンチックで、とても切ないものであるということについて、それはつまり主観時間の恣意性がロマンチックで、切ないものだ、ということだろう。簡潔に言えば、時間は意識の状態では長く感じれることもあれば短く感じることもある、ということになる。では、この時クリスティーナは長く感じていたのか短く感じていたのか。私の感性では、それは長い時間だったのだと思う。長いとすれば、それは日常の延長とは隔絶された特殊な時間で大切な時間であったはずだが、クリスティーナはそれについてアインシュタインに文句を言いたいのだと言う。私はここに彼女ヒロインとしての魅力、可愛らしさがあるように思う。

 ロマンチックな時間について文句を言いたい、アインシュタインという物理学の世界では最も著名だろう人物つまり物理学や科学の象徴に向けてロマンチックな時間に関する文句を言いたいのだ。この味わいは何だろうか。一つに、主観時間さえも相対性理論という科学的な現象にかけつける彼女のアイデンティティの強調があるだろう。それは科学者としての視点からのロマンスへの感受の仕方を示している。二つに、そこに恥じらいがあるのだとしたら、恥じらいがあるのだとしたら、彼女なりの自己認識の結果が婉曲的に詩的に表現されている。クリスティーナは劇中から見るに、素直な性格ではなく、自分の気持ちを隠しやすい部分がある。そんな彼女が自身の主観時間が長くなっていることを自認し、それについての気恥ずかさを相対性理論を示したアインシュタインを対象にぶつけるのである。ここが大変グッとくる。相対性理論なんていう時間が変化するという主張をするなと、今わたしの主観時間は変化してしまっているぞと。もう可愛すぎる。そしてこのセリフの直後に次のように言うのである。相対性理論はとてもロマンチックで切ないものだね、と。これは何を指すだろうか。私が思うに、彼女は気恥ずかしさを感じつつもそれを素直に受け入れている。この私の主観時間の変化がとてもロマンチックで、切ないものだと認め、受け入れている。そこに美しいカタルシスのシーンが生まれている。まゆしいを助ける為に2人で信じ合い協力してきた先のこのセリフである。積み重ねてきたものを十二分に醸し出す美しいセリフだと思う。科学者としての立場を普段とる彼女が相対性理論はロマンチックで切ないものだと思い、それは彼女の現在の心境、自身の心内が客観性よりも主観性に傾いているという表れとしての言葉。客観的に冷静な目で物事を見る彼女が物理学の象徴的な理論を主観的なものとして見るのである。ここに彼女の心の高まりが強調して表されており、ロマンチックな雰囲気を高めている。

 以上が、このセリフが挿入されたシーンを見ての私の分析である。このセリフを初めて聞いた時からこのセリフが挟まれる瞬間とはどんなものだろうかと気になっていた。そして今回最終話まで見て、この心の声は実に効果的に働いており、感動的なシーンの美しさを高めていた。しかし好みを言うなら、好みを言うなら、もう少しゆっくりとこのセリフを聴かせて欲しかった。しかし、彼女の性格を鑑みれば、あまり遅いと違和感のあるセリフになってしまうだろうとも思う。私の物語への入り込みが弱いせいだとも思う。あるいはこのセリフに対する期待値が高すぎたかもしれない。

 さて、話は変わって一応の最終話(24話)まで観た総括をしようと思う。第一話の伏線が綺麗に回収されており、ストーリー構成が素晴らしいと思った。リーディングシュタイナーを持たないキャラクターも別の世界線の事を微かに覚えているというのは若干虫が良い気はした。(それなら無数にある世界線のことも全て微かに覚えているではないか)しかしその微かな記憶があることで感動を高めてもいると思う。まゆしいの心の美しさに感動した。初めはトゥットゥルーとか言ってるやばい人だと思ってた。でもあの優しさの滲み出方はグッとくる。彼女が死ぬ時はいつも懐中時計が止まる描写があったが、β世界線に行ったことで懐中時計が動き続けている描写があれば感動は更に高まったように思う。また反対に、クリスティーナの時計が止まるような描写もあれば対比の効果で強い印象を感じたかもしれない。(あの終盤の尺都合でその演出を自然に挟む方法なんて全く思いつかないが)など言いつつ演出もストーリーもキャラ立ちも全て優れた作品だったように思う。23話の特殊EDからの24話第二番歌詞ver.のOPへの繋ぎもクライマックスの勢いを感じさせて良かった。そして最後にクリスと再会し、彼女は別の世界線の、岡部が奮闘してきた世界線の面影を記憶に留めていた。美しい締めだと思う。劇中で散々過去改変や世界線移動で記憶を無くしてしまうのは辛い、ということをフェイリスやルカ子で描写した後でのこのクリスの記憶である。温かい気持ちにならずにはいられない。

 全てのクオリティが高いと感じました。心理描写よりは展開によるエンタメ性としての魅力が優勢な印象が残りました。しかし節々で、キャラの心理にも惹き込まれました。展開重視の面白さでは一過性の懸念も感じますが、観て良かったと思います。

シュタゲ8〜17話視聴

 13話辺りのまゆしい死亡回避のシーンが印象的だった。主人公がまゆしいの死亡回避に向けて何度もタイムリープしたことが明かされるが、それがダイジェスト的なつまり描写ではなく説明的なシーンで伝えられたところには少し不満足な思いを抱いた。大切な人がどうしても助けられないという状況への憔悴や疲弊が私が思っているより重く感じられなかった。それは先程のある意味流すようなシーンであったり、主人公の顔面の表情であったり、仕草であったり、必死に奮闘していることは分かったが感情的な側面においては確かに表現されているものの、私には淡々とした印象に感じられた。

(感情が伝わる表現はあるが湿っぽくはないし、展開が遅くなることもない。つまり、主人公のおかれる状況、感情に関わらず展開は一定の速度で進んでいく、といった具合だろうか)そこで思うのだが、展開は主人公の停滞する感情に合わせて遅くすると、よりこちらとしては共感を覚えるのかもしれない。(ただし、エンタメ的にはつまらないし、苦しい心境がダイレクトに伝わってくるので重々しさは増しそう)しかし、そういった重苦しい時期を越えた時、記憶に残るのはそちら側なのだろうなと思った。結局、私はこの一連のまゆしい死亡回避描写をエンタメ的に観たし、一定の距離感を保って観た。(感情移入半面、観覧半面という、レベル)

 私的には、感情移入するものは記憶に残りやすいので好きなアニメだと思う。エンタメ的に面白いものはその瞬間は熱狂するが後にすぐ冷める。そこで心理的リアリティの描写であったり、心理的な演出が巧みだと私はそれを面白いと思う。今回、もっと主人公の苦しみを私が感じられたら更に面白かっただろうなと思った。(キャラに寄り添うよりもストーリーを楽しく観てしまった)あえて疑問を呈するとすれば、主人公は何度もタイムリープをしたと映像から分かるが、その中で一度もシャイニングフィンガーに捕まらなかったり、妨害されなかったりというのは無いものかなと。そこの説明は欲しいと感じだが、展開がそうなっているので何故かは分からないが毎回主人公はあのヘッドホンを装着することや42インチTVの電源を入れることに成功しているらしい。その辺の描写を毎回入れるのは阿呆らしいので省略するのは頷けるが、しかしちょっと信じ難い状況でもある。シャイニングフィンガーをうまく出し抜く描写が一回でもあればこんな疑問は抱かなかっただろうなと思う。

 SF的設定が巧みに使われていてとても面白いアニメだと思います。しかし、状況の割にあまり鬱々としておらずサッパリとした印象を受けるのが意外でした。心理ドラマよりもサスペンスとしての面白さが勝っている感じがします。謎が明かされる瞬間や次の展開の予測、主人公の問題解決過程を楽しんでいくのが本筋かなと思いました。

 どのように世界線を飛び越えるのか、この先が楽しみです。

(あと鈴羽まわりの話はドラマチックでSF設定による哀愁の雰囲気が醸し出されていて特に良かったです)

シュタゲ5,6,7話視聴

 話の展開が速くなってきた感じがあります。Dメールによって過去を改変し、世界線を移動させる再現方法を確立した訳ですが、主人公だけがなぜか元の記憶を保持し続けているという謎。主人公はそれに困惑しており、ジョン・タイターからは意味深長なメールが届く。

 この先が楽しみです。

シュタゲ視聴してます

 シュタゲをアマプラで観始めたので感想を書いていく。以下、現在4話まで観ての感想。

 画面の色彩設計が彩度低めの落ち着いた構成で、灰色のイメージが残った。更に夏の蝉の鳴く声が印象的で、長く続く人生の中のある一コマとしての印象を与えている感じがした。そんな暑い日差しが降り注ぐだがしかしコントラストは弱めの陰影が漂う都会で、ボロアパートに若者が集まっている。そこは未来ガジェット研究所、マッドサイエンティストの主人公とスーパーハッカー、コスプレ少女という個性豊かなメンバーが居る。この地味目な色彩設計の中にアクの強いメンバーが活動しているという対比が面白い。1話から既に物語は動き出しており、主人公の認識と周囲の人間の認識がずれる出来事が起こる。4人目のメンバーたるクリスティーナとの出会いと死別が既に1話で完結していたはずが、クリスティーナが生きており主人公と再び対面するということが起こった。もう既に異変は始まっている事が1話から分かり、これからこの異変は大きくなっていくことを期待させる。また主人公の物事に対するリアクションが特徴的で新鮮なので面白い。主人公はふざけているように見えるが根は真剣であり、自身に起こった異変に真摯に向き合っている。

 ガジェット研究所の日常が4話にわたって映されたが、彼らの会話はいわゆるアキバっぽい雰囲気でオタク感のある印象的なもので、前述したが落ち着いた色彩による静かな演出の中にこれが普通であるというばかりに自然にそれら特殊な会話を織り交ぜており、一種独特な雰囲気を作り出している。それは限定的な空間、人間関係という閉鎖性であり、ある種のセカイ系の印象を受けた。(街の中を人々が歩いている描写はあるのだが、どこか他人事、どこか味の無い感じがした)そしてこの閉鎖性の中で確かに物事は動き出しており、タイムマシンを開発したかもしれないこと、ネットの掲示板に現れるジョン・タイラーという核心的なにおいのする人物の発言、世界を陰で支配しているかもしれないCERN、重要なキーアイテムとされるIBM-5100というオーパーツ的なパソコン、そしてそれを探し求める謎の女など、あらゆるものが蠢いている。

 この閉鎖性の中での物事の蠢きというものの面白さを私はとても感じたが、それはなぜだろう。それはこれから起こる物事の主役は彼らラボメンであることが強調されるからではないだろうか。灰色の街、現実味を感じない街の人々、周りのものには潤いを感じにくく誰かが自身を助けてくれる気はしない。だからこそこの物語は彼らの物語だし、彼らだけに関わりのある物語だし、そこに鬼気迫る雰囲気、溢れる情動、緊迫する気持ちを高め、それを私に追体験させてくれるだろうと期待できる。

 以上より、私はここ4話までとても楽しく視聴しました。今後にとても期待します。ネットでは序盤はつまらないとの声もありましたが、それも一定の理解ができます。あのオタク的なノリは人を選ぶし、話の展開もまだ下積み期間のような浮沈の無さであるから、暇と言えば暇になるだろうなと思います。

 しかし、WHITE FOXの作画は綺麗でヨルムンガンドを観る時もそう思うし、やはり絵の綺麗な会社だなと更に確信が強まりました。OPの映像は綺麗で曲も印象的で素晴らしく、EDも同様でした。

 丁寧に作られており、かなり好きなアニメです。

(あとシャイニングスターダストシェイクハンドがとても好き)

壊れ落ちるもの

艶なる蛹の変態を見る時

その一過性、刹那性に驚く

過渡期は渦中にあれば長く

過ぎ去ればいつかの時間軸の一点の事になる

美しいものは儚い

誉れなるものは壊れやすく移ろいやすく

綻びは四方八方から侵入する

維持力は簡単に霧散して悲しみの

残滓が地に落ちる

だから先人は変遷をそのままに美と捉えたし

一過性の瞬間瞬間を経験することに目を向けた

日々の生活は常に壊れ落ちているが

彼らはそこに美を見つめ続けている