sappalenia’s blog

無責任な戯言です

成熟と分解能の話

 以前、私が書いた記事で、詩人とは物事への分解能が高い人ではないかと記した。しかし、これは特段詩人に限った話ではないなと思ったのでその旨を記していく。

 ずばり表題の通り、成熟は分解能と関連しており、私見ではそれが高ければ高い程即ち成熟なのだろうということ。幼児は物事の差異が分からず、大切なものも大切でないものも等しく粗末に扱い破壊する。それは何が大切で大切でないかの二点間の差異を認識できず、異なる二物を同等に捉えるからなのだろう。つまり、分析能力が無く、現実主導というよりかは欲求主導の動きをする。その様相は、現実世界の事物の働きや論理を認知できず、それらが波及的にもたらす前後関係の文脈を知り得ず、自身の行為によって起こる帰結を理解しないことであり、これはこう働く、あれはこう働く、という各々の作用を独立的に見分けられないが為に、外界の各作用素の干渉を受けにくく自己完結しており、なおかつ微妙な枝葉が等しく平らかになり、どれもこれも結局同じでそれらが異なる意味も無い、という世界が彼には広がる。これは即ち、彼には高級料理も低級料理も同一に見える、ということ。では、高級料理を提供している自負心を持つ者から見て、この彼とはどう映るのか。それはもう、物事の価値を分からない人であり、提供者は寂しい思いをするだろう。だからこそ、分解能は成熟に通ずるものがあると私は思う。この分解能に繋がるのは、知識・経験、分析、思想等であり、結晶性知能と呼ばれるものに近いのかもしれない。

 なんて思ったので、記事にしてみた。