sappalenia’s blog

無責任な戯言です

生存と実績

 豊かな社会に生まれたからには基準よりも余裕があり、教育があり、考える猶予がある。

 生存に理由を欲した時期はあった。今もある。理由は探したが見つかるものでもなかった。どれだけ解釈を変えても事実は変わらず、そこに存在するのは性質とそれに伴う自己の解釈だけであり、理由探しとはおそらく変わらない唯一の性質を多方面から眺めて捉え方を変え続ける行為。だとして、ならば、事実あるいは現実は変わることがない。

 結局それならば、何をしたか、何ができたかがおおよそ自己の生存の理由に寄る辺たるだろう。解釈は解釈だけでは事実に干渉せず、事実を自身の理想に向けて作れたなら少しは生きた足跡やら意味やらにもなるだろう。

 そういう意味で書物にまで達すれば思考は事実として生起しているし、要は外面化へ向かうことが一つここでの要旨となっている。

 それを一言で表せば実績となるだろう。生存理由としての実績、仕事をしたという意味での生存の意義、功利とは異なる志向からの結局はよき自認の為の生活態度。