sappalenia’s blog

無責任な戯言です

よりもい視聴してます2

 dアニでよりもいを観ています。以下、4話〜6話まで観た感想。

 4話。4話ではもう南極に行くための訓練に参加している。起承転結構成なら3話で起が終わって、確かにちょうど4人が3話までで揃った、そして今回から承になっていくのかもしれない。6話まで観た感じ、7話から本格的に南極での話になりそう。正直4話は6話まで観てみて1番印象が薄い。起から承に移行するための説明に主軸が置かれていたように思う。と言いつつ、4話ではキマリちゃんとしらせちゃんが南極訓練に参加するということで、学校にも公認されていくという状況変化があった。そしてそれに伴って、キマリちゃんの昔ながらの友達が妙な間を見せる場面が幾つかあり、その変化に内心一物抱えていることが察せられる。これは溜めの段階で、いつかなんか言うのだろうな、というのは感じた。

 5話。5話では訓練から帰ってきて、いよいよといってもまだ5話の冒頭で本出発への準備に入っていく。5話ではいよいよキマリちゃんの昔馴染みが怪しくなってくる。それはもう露骨になり、楽しくゲームをプレイするキマリちゃんに冷や水を浴びせかけるかのように、しかもそれが通り雨であるかのように偶発を装ってコンセントをぶち切る為に、ああもう感情の抑制が利かなくなってきたのだな、というのが明確になる。元々いつも目が据わっていて、自身の感情と認識を切り離しがちな人だったのだろう。そんな昔馴染みは内心軽んじていたキマリちゃんが自身よりも魅力的になってきた為に、その立場転覆に苦々しくなり、いろいろ裏で秘密工作をやってきたことをなんとキマリちゃんが南極へ出発当日になって告白し出すので、最後まで冷や水を浴びせかけているような印象だったが、本人からすればこの瞬間しか無かったのだとも思う。しかし、キマリちゃんはあまり考えない朗らかな性質なので、罪悪感を抱いて絶交を打ち出してきた昔馴染みに向かって、無効! と可愛らしく言って南極へ出発する。ここら辺は軽いくらいに爽やかに展開されていて、それでいて絶交という強めの言葉を用いた昔馴染みが若干しおらしさを抱いて粘着的にキマリちゃんの言葉を待っているように感じられて、そこら辺のアンバランスはあるように感じた。そのアンバランスとは爽やかに描かれる粘着質といったところだろうか。あとそれらしいBGMが掛かっていることになんとなく私が天邪鬼なのでむかついた。

 6話。6話では南極までの経由地たるオーストリアフリーマントルへ向かう為にシンガポールに降り立ち、そこでの話が展開される。話のメインは、ここまでおそらく4人の中で最も常識的でバランス的な態度をとっていた日向ちゃんがパスポートを紛失するということだった。日向ちゃんは中卒という設定なので何かありそうではあったが、一瞬だけ後ろ暗い家庭環境にあった映像が挟まれて、その為に自分に気を使うのはやめてほしいと言う。それは自身の、パスポートを紛失したという過失の為に主導してきたしらせちゃん引いては他3人の計画の邪魔をしたくないという心から話される。それを聞いたしらせちゃんは感情を昂らせ、4人で南極に行くことが願いであり、また、気を使わせたくないからという相手の主張に雷同し、恥も情も意地も消え失せた人間にはなりたくない、という人間的な自尊感情も大切にしたい旨を日向ちゃんへと主張し返す。日向ちゃんは感動して涙する。分かる。しらせちゃんが魅力的だし、情と寛容を感受した為に日向ちゃんは泣いたのだろう。しかし、それを受けての台詞が私の感覚には合わなかった。全体的にサラッとしている作風という感じで、葛藤シーンでも超然とした予定調和的な反応をキャラが見せるので、情動反応の帰結として生じた応酬というよりかは理性主導の適応行動に映る、という印象に引っ張られ、少し芝居を観ている心地がした。いや、芝居なのだろうけど。オチもうまく後腐れ無いものになっていて、一方的な攻め手と受け手の構図にならないよう配慮されていて、なんというか市民的納得感が得られるという感じの幕引きだった。こういうことあるよねアハハみたいなそんな幕切れ。

 それでは、4話〜6話までを観ての総括。結論としては、明るくコミカルで楽しいが多少の違和感もあるといったところ。以下に、またつらつら書いていく。

 今回初めて思ったが、このアニメはどこか日常賛美というか牧歌的というか、どことなく全幅の肯定感を感じさせる。それは私がこのアニメに肯定されているのか、このアニメが私に肯定されているのか、別にどちらでも構わないし、そもそもそれ以外かもしれないし、そんなことよりも、どうにもこうにも正なるものを観させられている気分になる。私はひねくれている為、1度こう感じるとなんだこれは善性の押し売りじゃないかだとか親切地獄じゃないかだとかつっぱねてみたくなる心も一隅にはある。もっと私的な心にフォーカスして語ると、あまりに和気あいあいと内輪でのやりとりが最適化され、そしてそれらが日常会話の延長線上的な会話劇の為に、完全に現実とは別離された逃避先とも言い難く、またある意味で嫌味ったらしいくらいのまとまりある空間を見せつけられるので、現実に満足している方ならその延長としての娯楽に寄与するだろうが、不満足なら絵に描いた餅のように対岸の出来事でそしてそれが善性なので接近-回避ジレンマを起こして腹立たしくなってくるのかしら。あまりに全体に肯定感が漂っているので、私のようなネガティブな人間には、その流れに乗り切れない場合には鼻につく逆作用になっているのだと思う。乗っているよりも乗せられている気分になる時もある。それは単純に、流行りもの否定気質だからかもしれないが。ただ、それを踏まえてもこのアニメは私をうまくその気にさせようとしてくるみたいで、それはそういうものだと思えば普通に楽しむのだろうが、しかしそこを安易に超えるのもまた差し控えたい。それはもうしらせちゃんが言ってたみたいに。

 否定と肯定の観点から楽しませてもらいつつ、いやここはどうなんだと突っ込みを入れながらまた続きを観て行きたいと思う。