sappalenia’s blog

無責任な戯言です

アクセシビリティについて

 アクセシビリティとは単純にアクセスのし易さを指す言葉だが、これが現代の象徴じみて思われる。安さ、易さ、これは言葉遊びで並べてみたに過ぎないが、しかし手の届きやすいものという意味で共通している。

 安いものが売れ、親切の施された簡単なものが売れる。し難い、得難いものは淘汰されていく。

 これが進めば、当然咀嚼を忘れた丸顔みたいに感受性も単一化・平板化されてくるだろうと思う。コンテンツやモノの種類は増える中、それ一つが複雑というよりかは簡単と簡単が複雑に絡み合って結局複雑な様相を表す、といった方向に進んでいるように思う。それは一元的な演繹による垂直の複雑さというよりかは、多元的な帰納による水平展開の複雑さ、であるかのような。演繹が本質の連なりを手繰り寄せる行為であるならば、帰納は現象の寄せ集めによる推察といったところだろうか。

 要は、現象的なコンテンツやモノが増えてきた、ということになる。現象的とは? 即物的、体感的、刹那的などつまりはイマココだということ。それが、普遍性が無いだとか言われる所以なのかもしれん。

 他人事のように言ったが、自身にも多々認められ辛い。

 しかしまた、クラシックが現代でも存続している最中、その現代こそに生まれた多種多様の音楽が未来に没落して消えたからといって、その限定時間で限定的な音楽を聴いていたとしても、それを愛し、それと共に生きていたのなら、やはりそれも一つの生の形であるように思う。イマココに生き、イマココで死んだからと言って、そこに普遍性や時代時代の跳躍が無いからと言って、それを無価値と一瞥するのはまた越権であるように思う。イマココに生まれて、イマココだけの限定性を味わう心地よさもまたあるかと思う。これは少し享楽的な見地かもしれないが、だからといってそれを全て否定する気にもならない。しかし、アクセシビリティばかりが台頭するのも気に食わない。

 要はバランスだなと、また思う。